2014年09月09日

ブンヤパイン(南洋杉)

BunyabunyaBunyabunya2フォッカチオコンポート
























ブンヤパイン(南洋杉)

Bunya−Bunya Pine

 

ブンヤパインの学術名(Araucaria bidwillii)は、チリのインディオであるアラウカニ族から来ています。アラウカニは現地の植物であるモンキーパズルツリー:チリ松(A.araucana)から取れるナッツを食べていました。

ブンヤパインはもともと、野生のナッツや種子を採集した最初のヨーロッパ人であるアンドリュー・ぺトリーの名前をとってぺトリーズパインと呼ばれていました。今では、正式名称はイギリスの王立植物園(Kew Botanic Garden)にサンプルを送付したJ.C.ビッドウエルの名前から取っています。一般名はアボリジニ名であるブンヤブンヤから派生しています。


 ブンヤパインが属しているファミリーは原始的でジュラ紀(14000-9000年)のゴンドワナ大陸で進化した植物まで遡ります。化石の証明もまた、この植物ファミリーは古代に広範囲な地域に広がった事を示しています。しかし、その分布地域は時間が経つにつれ狭められてきました。最初の白人がオーストラリアに入植してきた時、ブンヤパインはクイーンズランド南東のジンピーの南に広がる海岸地帯、そしてクイーンズランド北部のロックハンプトンとケアンズの間でのみ見られました。今では、ブンヤパインは南東オーストラリア全体に生育しています。


 ブンヤパインは1本の幹で30m以上の高さに成長し、また粗いうろこ状の樹皮からなっており、葉は堅く先端は尖っています。古い木は、下の枝が細くなり大きな矢じりのような外観を呈する事で冠を形成します。この形から、遠方でもこの木を認識することが出来ます。木は雌雄同株で、雄・雌両方の球果を結実させます。しかし、雌の球果のみが食用ナッツを含有し、しかもすべての木が球果を結実させるとは限りません。球果を結実させる木にしても成熟するまでに14年ほどかかり、最終的に2.5cmほどの長さのナッツを覆った殻が10数個入った大きなグリーンのパイナップルに似た球果を結実させます。これを境に、場合によっては毎年、普通3年ごとに結実します。


 昔は3年ごとの豊作時期に数百キロ離れたところからアボリジニの部族が集まりナッツ採集が行なわれました。1850-60年代にブンヤパインナッツ儀式のために南東クイーンズランドにあるブンヤマウンテンとフラッカルレンジにアボリジニが集結したという記録が残っています。最後の盛大なお祭りは1876年に行なわれました。

集会は、重要な儀式やイニシエーションが実施された時だけでなく口論などの問題が決着した時などにおこなわれました。これらの活動が後でどう猛な戦い伝説の起源となり、これらの伝説が長期間に渡って続くであろうでん粉質のブンヤパイン中心の食生活に備えて、生き残った者たちの肉に対する味を満足させるカニバリズム(人食い)に結論づけられたことを意味していました。最初のカニバリズムに対する言及は、1800年代にビクトリア政府アボリジニ保護委員会の役人であったブロー・スミス(Brough Smyth)によってなされました。この伝説はそれ以来ことあるごとに引用されています。

ブンヤ山の山頂はモーバラン山(Mount Moubullan―名前は樹木の生えていない地表面から“禿げ頭”という意味に由来しています)と呼ばれています。この地域は神聖なところとされ、アボリジニ達は近くで露営しようとしませんでした。そのかわりに、近くの渓谷に集まり狩や饗宴を催しました。これはある意味では現実的な対応でもあったのです。というのも、木の近くで露営することは40mの高さから10キロ近い球果が落ちてくる危険性に直面しなければならなかったからです。


 ブンヤパインナッツはさまざまな熟成度によって食されていました。熟成する前の木から採集される球果は甘く、生の状態で食されました。しかし、採集するためには木に登らなくてはなりませんでした。大きな木には、今でも足がかりを作るために斧で傷つけた痕が残っています。ただ、記録によると木に登ることは普遍的な習慣ではなく、あるアボリジニの種族ではそうすることを厳格に禁じていました。足がかりがあったとしても、木に登った若者は、幹、枝、葉っぱの刺で傷ついたり刺されたりして悩まされました。当時のアボリジニの習慣について書いたクレメンツ博士は、このケガはブンヤパインナッツを中心とした食生活に帰すると述べています。彼の記録には“アボリジニは健康で良く育っているが・・・・・・若者は一般的に体中キズ痕だらけで帰ってくる”と書いてあります。


 熟した球果は地面で採集されました。ナッツは取り出された後、砕いて生のままで食べたり、またそのまま灰の中で蒸し焼きにしたりしました。灰による調理は炭と比較して時間がかかりますが、急激に高温で火を通してナッツが破裂する可能性が低くなります。調理されたナッツは砕いてそのまま食べるか、あるいは乾燥してひきわりにしました。調理されたナッツは風味・歯ざわりともに松の香りがほんのりしますがヨーロッパのチェスナットに似ています。生のナッツは、湿って水捌けの良い地中に数ヶ月間埋められます。ナッツは簡単に根を生やし、新芽が現れる塊茎を形作ります。地下貯蔵は、ナッツが乾燥することを防止し食物源としての期間を延長するという意味だけでなく、木のように堅い殻から食用部分を取り出すことを容易にする方法でもありました。芽の生えたナッツは回収され、殻のついた塊茎を除去してからローストして食べます。


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世紀には、ブンヤパインはその地域のアボリジニの重要な食物源であったことからクラウンランドのブンヤパインを伐採することは違法でした。不幸な事に、1889年にさかのぼってプランテーション用植物として推奨されていたのですが、現在は松の群生林は貴重な材木のために切り出されています。木材の特徴は既に導入済の松(Pius radiata)に似ています。また、1891年にナチュラルサイエンスレビュー紙(Revue des Sciences Naturelles)”Sur le Bunya Bunya”という記事はヨーロッパにおける栽培とその製品についての記述があります。

 現在では多くのブッシュフード専門シェフによってパン、フォッカチオ、コンポート等現代風に食べられるレシピが開発されています。


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