2007年05月21日

何が問題なのだ・・・続き

E's Cafeのerikoさんが、まさにカンガルーマンが書こうと思っていた内容をコメントしてくださった。
おかげで長々と反論記事を書く手間が省けた。

>「日本は戦争をできる国力・軍事力・判断力があるけれど、しないですむ努力をしている」という認識が、国内外に向けての理想の姿

ランキング挑戦中
励みの応援クリックをお願いします。

ブログランキング


まだまだ多くの無頼漢が存在している地球上では、自分の身を守る術を確保することは私達にとって最低限の義務だ。話しても判らない暴漢から自分だけでなく身内、友人、ひいては国民全体を守ることはまた国家の義務でもある。

それを放棄すること自体、自らの存在を否定することに他ならない。

放棄するということは、非常に無責任で、いまだに物事を自分で判断できない子供と同じステージにあるといっても過言ではない。

ポイントは、erikoさんがおっしゃるコメントに凝縮されている。

要するに強力な力(軍事力)を持っていたとしても、それを行使するかしないかはそれを保持している者の大人としての高い倫理・道徳観および判断力が大きく左右する。

したがって私達日本人が本当の意味での自由と独立した意識を確立しようとするならば、誰にも頼らずに自分を守る術を獲得したうえで世界の人々と付き合うことが肝要となってくる。

そして、どのような強力な軍事力を保持していたとしても、国際社会に脅威を与えない平和国家としての顔も同時に確立させねばならない。

武道の達人でありながら、その技術を行使することなく平和を愛し誰とでも仲良く付き合えるような人あるいは国家を創り上げることが理想だ。さまざまな目を背けたくなる事件などが起こっているようだが、この理想は現在の一般日本人のレベルであれば十分到達可能な領域だと思うのはカンガルーマンだけか?

憲法改正に反対している人たちは、よっぽど日本人の平和意識に対して自信が無いか、現実世界で自分の頭を使って生きて行くことが怖いのだろう。

この第9条という鎖から解き放たれて、晴れて自由の身になることがそれほど悪いこと・否定的なことなのか?

憲法が改正されるという事に対して高い倫理・道徳観が主導している限り、カンガルーマンは諸手を上げて賛成したい。

改めて問いたい「なぜ戦争ができる国になるのが問題なのだ?」

ランキング挑戦中
励みの応援クリックをお願いします。

ブログランキング


この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/nagatomo2/50783213
この記事へのコメント
カンガルーマンさんこんにちは!
早速お邪魔しております。
私も憲法第9条の問題には昔から関心がありました。
 何か物事を判断、決定する時、それが本当に自分自身の意思なのかと疑問に思った事はありませんか?
 海外のニュースを見ていると、日本の報道番組がどんなに偏った情報しか流さないかが分かります。新聞は各誌「色」があります。そして世代によって、その時受けた教育が全く違う事は周知の事です。。。
 沢山の色々な意見があるのは素晴らしい事です。私はたとえ全く同意できない意見でも、熟慮を重ねた自分自身の意見を言える人の方が好きです。
 怖いのは「同じ意見」ばかりの時です。(恥ずかしながら私の4月の日記にも書きましたが。。。)

 ちょっと論点がずれて恐縮です。でも日本人は、昔は帯刀してそれを抜かない民族だったのでは?と思い、お二人のご意見に共感し、つたない筆をとった次第です。。。
Posted by Chibita at 2007年05月29日 17:52
chibitaさん、こんばんは。
コメントをいただき、また共感してくださり嬉しい限りです。
おっしゃるようにこの情報過多で、場合によっては偏った情報の中で真実を見極めるのはとても困難な世界になりつつあります。そうした中で自分の考え方の軸をぶれないように精一杯努力しています。

>怖いのは「同じ意見」ばかりの時です。

以前「微笑みの全体主義」という本がありましたがなかなか真理をついています。メディアを駆使すれば民衆に脅威を与えることなく権力の意思を行使することが可能です。私たち一般民衆は、この「微笑みの全体主義」を浸透させないように権力者達を監視する必要があるでしょう。
Posted by カンガルーマン at 2007年05月29日 23:01