2006年07月25日

またもや若者に触発された!

昨日の塩の話の続きに対して再度erikoさん(E's Cafe)からコメントをいただいた。

その中で彼女が以下の質問を発していたのでカンガルーマンの解釈を加えてみたい。

そして、この質問にまたもや触発されることとなった。

開発途上国(どの言葉が最新なのでしょうか?もしご存知の方がいらしたら教えてください。)

カンガルーマンは、開発途上国あるいは発展途上国という言葉は意識して使わないようにしている。

カンガルーマンが使用する言葉は「低開発国または未開発国、そしていわゆる産業先進国に対しては既開発国」と呼ぶようにしている。

その理由は以下のとおりだ。

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カンガルーマン自身が、高度に発達した資本主義社会で生活しているので偉そうな事は言えないのだが、いやそこに住んでいるからこそこのテーマに言及する資格があるのかもしれない。

まず開発途上国あるいは発展途上国という言葉には非常に傲慢な響きを感じる。

つまり開発途上または発展途上という言葉の裏には、こうした国々は劣っているというニュアンスが含まれているように思えるからだ。

この開発途上という言葉を定義づける根拠または基準をどこに置いてあるかが問題だ。常識的な基準としては日本を含む西側欧米諸国の社会、生活、産業、教育、財政レベルを基準としており、それに満たないレベルの国々を発展途上とよんでいるのではないだろうか?

ここでカンガルーマンが疑問に思っていることは、「この西側欧米諸国のレベルが果たして目標とするに値する価値観を持ち合わせているかどうか?」ということだ。

そして、「日本を含む西側諸国に住んでいる人達が果たして幸せな生活を送っているのだろうか?」ということだ。

カンガルーマンが使用する「低開発VS既開発」はあくまで産業社会という側面からみた物質的開発のレベルを指している。したがって高度な産業社会に到達していない地域は「低開発または未開発」ということになる。

さて、ここでカンガルーマンが指摘したいことは、現在いわゆる先進国(既開発諸国)に住んでいる6−7億人の人々が地球上の富を独占し、さらにその結果地球が抱えているさまざまな問題の元凶になっているのではなかろうか?

環境汚染、環境破壊、天然資源の収奪合戦、家族制度や伝統的価値観の崩壊、異なるイデオロギーや価値観の衝突等混沌とした状況となっている。

カンガルーマンが強調したい事は:

欧米型資本主義社会が優れているという概念を払拭すし、逆に「低開発、未開発社会は既開発社会が失ってしまった自然、人間的価値観や精神性という貴重な財産を保有していることを誇りにすべきだ。

もし世界中の国々が全て欧米型資本主義社会になってしまったら、地球はその重みに耐え切れずに崩壊してしまうだろう。

この欧米型資本主義社会の歴史は、何十万年という長い人類の歴史から見た場合、点にもならない短い期間にしかすぎない。そして何十万年という長い歴史を通して培われてきた人間の価値観、知恵そして精神性の重みが必ずやよみがえってくるだろう。

したがって、21世紀は欧米型資本主義社会の矛盾が露呈した後に、長い歴史を通して培われてきた人類の普遍的な価値観に回帰する世紀となるだろう。

そして、その鍵を握っているのが、まだ欧米型資本主義の価値観に汚染されていない「低開発・未開発地域」に住んでいる人々だ。

事実その兆候は出始めていることは皆さん感じ始めているのではないだろうか?

「低開発・未開発」という状態は、現在の地球では貴重な財産だ。

erikoさん、このテーマを考えるキッカケを下さった事に感謝します。

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この記事へのコメント
カンガルーマンさん、こんばんは。
そんなコメントはビビリます。いえ、ありがとうございます。

僕、その兆候を感じ始めれてないです…。
外国だから? それとも鈍いから? 

Posted by eriko at 2006年07月26日 21:49
erikoさん、こんばんは。またもやコメント有難うございます。
ひょっとしたらその兆候を兆候として見ているのは私だけかもしれません。
ただ、ハンチントンが書いた文明の衝突論に近い現象が世界中のあちこちで起き始めているのではないでしょうか?例えばイスラム原理主義者VSキリスト教原理主義者の衝突等はその一例かもしれません。この事を書き出すとコメント欄だけでは終わらないので、現時点の象徴的出来事としては究極的資本主義国家であるアメリカとイスラム原理主義者の争いは一つの兆候だと思います。
Posted by カンガルーマン at 2006年07月26日 23:08
こんにちは。こちらは一日が終わりお夕飯の時間です。

僕、カンガルーマンさんとおなじこと考えてました。
一回書いて消したんですが。

「お互いの民族を譲れない」ということから発想しました。
私が「民族の民俗性」について超coolだと感じることは、原理主義者の前では、戯言というよりも言葉になりませんね。

いい方向に向かうことを祈ります。
また勉強してみます。
Posted by eriko at 2006年07月27日 16:44
erikoさん、こんばんは。再度のコメントありがとうございます。
原理主義者達の政治的衝突以外に、社会風潮という流れの中で最近ロハスとか言われていますが、これなどは資本主義的お金と仕事一本やりではなく自然と共生しながら生きてゆこうというライフスタイルです。大都市での生活を離れ田舎暮らしや離島での生活、あるいは未開発国に移住する人達も出始めています。
オーストラリアでは、先住民アボリジニのライフスタイルや知恵を現代社会に取り入れようという動きが大きく広がりつつあります。私の予想ではこうした動きは更に大きくなり、未開発地域のライフスタイルや伝統的知恵の重要性が多くの人々に認識される日が来ると思います。
Posted by カンガルーマン at 2006年07月27日 22:50